<コラム30> 2019.7
大下智子
最近、日常の中で、小さな発見でふと癒されること、少しの工夫でできたことに喜びを感じることが多い。道端に咲く可憐な花に目を奪われたり、レシピを少しアレンジして作った料理がおいしかったり、それを食べてくれた人が喜んでくれたり。小さな喜びを一つひとつ重ねていると、生活や生き方そのものに幸せが広がる気がする。
こう哲学していると、「EGカフェ」に携わる契機を思い出す。
確かに、エンカウンター・グループで、数日、日常の場から離れて、そこに集う人々の生き方、価値観、想いに触れながら、自分の気持ちをじっくり見つめられることは、私にはかけがえがない。実際、喪失感が強い時期に、エンカウンター・グループで、言い知れぬ悲しみを聴いてもらった。お別れしてもお別れした方との心の交流や思慕は消えないことに気づき、人との出会いをより愛おしく感じられるようになった。
それゆえ、エンカウンター・グループの“出会い”の醍醐味を継承したいと強く思う。しかし、時間と費用、遠方への移動などに、どこまで投じられるかを考えると、日常傍らで、私自身難しい時もある。とすると、エンカウンター・グループに参加したくてもできない人もいるのではなかろうか。
そうしたグループへの潜在的なニーズにより柔軟に応えられないか、日常で気軽にカフェに行くようにグループに参加できるなら足を運びやすいのではないかと、法眼さんと話し合いを重ね、「EGカフェ」を共にしている。もちろん、メンバーお一人おひとりの想いとの出会いを大事にしながら。
目の前に生きる人が、少しでも心安らいだ“日常”を送れるように、声なき声を拾い、ささやかな喜びと“出会う”お手伝いをしたい。