<コラム11> 2012.1
本山 智敬
九重エンカウンター・グループが、昨年12月で40年の歴史に幕を下ろした。私が初めて参加したのは学部3年生の頃。セッションでのやり取りの断片やグループの皆と近くの山に登ったこと、当時置かれていた卓球台で卓球をしたことなど、今でも鮮明に覚えていて懐かしくなる。当時の「エンカウンター・グループに出会えた」という思いは忘れることはないだろう。最後の5年間はファシリテーターとして参加した。そこでも毎年、本当にすばらしい体験ができた。メンバーや一緒に組んだファシリテーターの人たちと、グループを共にしたことをきっかけに個人的なつながりも深まって、それも嬉しいことであった。
4泊5日のエンカウンター・グループの最中には、色んな出来事が起こる。メンバーやファシリテーターの話に感動したり、自分のことに思いを馳せたり、時には想像もつかないようなハプニングが生じることもある。嬉しい体験もあればしんどい体験もあり、あらゆることが5日間のなかで流れていくのである。
エンカウンター・グループでは、そうした体験の一つ一つを、丁寧に共有していくことが出来る。例えば何かに怒っている人がいた時、もちろんその怒っていることの内容も聞くが、それだけでなく、その体験をしてどのような思いがわき起こっているのか、「その人」の体験も大事に聞いていく。それを通して、その体験の中には、その人にとっていいとか悪いとかということとは異なったところで、その人にとっての意味が浮かび上がってくることがある。怒りの先が自分に向いていない場合でも、聞いている私自身、辛い体験をすることもある。しかし、次第にその人にとっての意味が見えてくると、話を聞きながらその人そのものを感じるようになり、また、その人とつながっている感じがしてくるのである。
エンカウンター・グループに限らず、できればしんどい体験はしなくないなぁと思う。可能な限り、辛い体験をしなくてすむように工夫していきたい。しかし、全ての辛い体験をなくしていくことはまずもって不可能である。
けれどもエンカウンター・グループでは、マイナスに感じるような体験であっても「表面的に」扱うのではなく、大事に語り、大事に聞いていける。それらを重ねていくと、ここで体験するあらゆることが、とても貴重な体験なのだと思えてくる。マイナス体験が起こらないように常に気を張っている必要もなくなり、その場が少し楽になってくる。
人への信頼、グループへの信頼に加え、体験への信頼が九重エンカウンター・グループにはあった。この先色々な状況で辛い体験をしたり、話を聴いたりするときに、このことを忘れないでいたい。