<コラム3> 2011.4.1


悲嘆とレジリエンス

広瀬寛子

 

 この度の東北地方太平洋沖地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。

 

 3月11日午後2時46分。私は埼玉の職場で、遺族のためのサポートグループを行っていた。また地震か、と思った。ところが揺れは激しくなる。いつもと違う。揺れが収まらない。立っていられない。恐怖で外に駆け出そうとする女性の参加者に走りより、大丈夫だから、大丈夫だからと彼女を抱きしめた。あれほどの恐怖を未だかつて感じたことはなかった。そのとき、東北ではとんでもない事態が進行していたとは想像だにしなかった。

 

 こんな時に、コラムの順番が廻ってきたことが恨めしい。何を書けばいいのかわからない。何を書いても薄っぺらなことしか書けない気がする。自分が書きたいと暖めていたことは、とても書く気になれない。いま、何ができるのかという問いが空回りする。

 

 私は先月、『悲嘆とグリーフケア』という本を医学書院から出版した。この本には二つの柱がある。一つは遺族のグリーフケア。これは、私が平成11年から行っている、がんで家族を亡くした人たちのためのサポートグループの実践をもとに書き上げたものだ。もう一つの柱は看護師のためのグリーフケア。看護師の悲嘆の背景にある、患者・家族とのかかわりのなかで生じたさまざまな感情や傷つきに焦点をあてたものだ。災害や事件に巻き込まれて一瞬のうちに暴力的に愛する人やかけがえのないものを奪われる状況とは、随分かけ離れているように思われるかもしれない。しかし、悲しみは比べられるものではない。一方、愛する人を失った悲嘆やそのような人たちをケアする専門家たちの悲嘆には普遍的な面もある。

 

 本書で、レジリエンス(resilience)という言葉を紹介した。レジリエンスとは、厳しい状況にあっても人間がもつ内的な力によってその状況を跳ね返して適応し、立ち直れる力であり、その経過を意味する。それは一人ではできない。人と繋がっていると思えることが最大の力になる。この未曾有の震災の中でも、直後からそれは始まっていた。阪神大震災を経験した中井久夫さんはプレゼンスということを強調する。「誰かがいてくれる」ことの力である。